会社概要

空を見上げる看護師

経営理念

地域社会と連携し、

最期まで

その人らしく、

生ききる力を支える

ビジョン

誰もが最期まで、

自分らしく

暮らせる

地域をつくる

終末期ケア専門士

Custom-Care-Nurse

代表 山口 波瑠奈

長崎県出身

趣味:旅行、登山、
ミニマリスト

あいさつ

母が教えてくれた最期の選択

はじめまして。
終末期ケア専門士の山口波瑠奈と申します。
私が終末期ケアに携わるようになったのは、28歳で母を看取った経験がきっかけでした。
母は、乳がんの全身転移がわかっても、「病気に縛られるのではなく、自分の人生を生きる」と決め、抗がん剤を勧める私に「医療者じゃなく、患者の立場で考えたことある?」と問いかけ、「長く生きることより、短くても濃い人生を生きたい。」と思う人もいると言われたことを今でも覚えています。 母は、ただ治療をしないのではなく、最期まで自分で“生き方を選ぶ”ことを大切にしていたのです。
母は、放射線治療後は、自ら調べた温熱療法を受けるため、毎月福島の温泉へ飛行機で通い、そこでがん患者の仲間と出会い、帰りに東京観光を楽しむ日々。そんな姿を見て、母は「がんとともに生きる」ことを選んだと実感しました。
家では、母のいない時間が増えるにつれ、父に少しずつ変化が生まれ、母がいなくなった後の生活を、父もどこかで意識していたのかもしれません。
そして、かつて夫婦で楽しんでいた山登りも再開し、「また登れた」と嬉しそうに話す母の姿が、今でも心に残っています。
また、山仲間とのお別れ会では、感情が込み上げて、あまり言いたいことが言えなかったけど、「元気な姿で感謝を伝えられてよかった」と話していました。
病気がわかってから約一年。母は最後まで「自分の人生を生きる」ことを諦めませんでした。亡くなる二週間ほど前から食欲が徐々に落ち、検査で脳転移が見つかり、母は迷うことなく「もう一度、埼玉の病院で診てもらいたい。」と言い、自分の意思で東京へ向かうことを決め、飛行機に乗り、到着後容態が急変し、すぐに救急搬送され、家族全員が揃ったその夜、母は静かに息を引き取りました。
最期に母が、「死ぬかと思った。」 と言った、その瞬間、家族全員が思わず笑い、私は、「ほっとした気持ち」と「まだ生きるの?」という相反する感情に戸惑いました。当時、看護師として多くの最期を見届けてきましたが、死の直前まで話し、生きる希望を持ち続けた人を見たのは母が初めてでした。
その生き様に、私は大きな衝撃を受け、この経験から、私は延命治療の限界を痛感し、「最期をどう迎えるか」が何よりも大切だと強く思うようになり、50人以上の在宅看取りを経験し、「亡くなる前から心の準備をすること」「家族や友人との絆を深めること」が、グリーフケアにつながるとわかりました。
しかし、保険制度の枠ではケアの限界を知り、私は、保険外訪問看護を立ち上げました。 母が自分の人生を最後まで生き抜いたように、誰もが「自分の人生を生ききる」ことができるよう、これからもその一歩一歩に寄り添い続け、その選択を支える存在であり続けたいと思っています。


経営者略歴


〈資格〉

2005年  看護師免許(登録番号1308017)
2011年  1級着付講師
2019年  国内旅行業務取扱管理者
2022年  終末期ケア専門士

〈略歴〉

2005年 看護師免許取得
2005年 埼玉医科大学病院、埼玉医科大学国際医療センター、手術室、心臓血管外科、循環器科、救命ICU
2010年 関東労災病院  手術室、HCU
2012年 ソフィアメディ株式会社
     ソフィア訪問看護ステーション不動前
2020年 カンデラメディカルケア世田谷本店
2023年 LCC訪問看護ステーション
2024年 設立

アクセス・詳細

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